関内の 旧跡 |
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石碑
関内駅前の伊勢佐木モール入口に架かる吉田橋。かつてはこの橋が関内と関外を結んでいました。
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記:1F57B0B4D4
2024年6月5日18時25分
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(3)
案内板より
安政六年(一八五九)六月二日、横浜が開港となって交易場、貿易港として栄えるにしたがい、幕府は。開港場の施設の充実にあたり、陸路である東海道からの横浜路を開設するとともに、当時、伊勢山下から都橋付近まで入海であったことから木橋を架け、その後、本橋が吉田新田から架橋されたことより「吉田橋」と呼ばれました。 吉田橋が設置されてからは、当地は交通の中心地となり、その治安を図るため橋のたもとに関門を設け、武士や町人の出入りを取り締まりました。 関門は、当初港町側に設けられましたが、文久四年(一八六四)「二月に吉田町側に移設されました。 関内、関外という呼び名はこのとき以来で、関内は馬車道側、関外は伊勢佐木町側を指し、その関門は明治四年に廃止されました。
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記:1F57B0B4D4 2024年6月5日18時28分 |
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