「旧東海道 神奈川宿」のレビュー・評判

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神奈川の
旧跡
旧東海道 神奈川宿
(旧跡) 
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旧東海道 神奈川宿
神奈川台の関門跡
(8)
幕末期、外国人とのトラブルを防ぐ目的で神奈川宿に関門が作られました。
神奈川駅の旧跡--旧東海道 神奈川宿
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記:73811A84A8
2023年3月7日18時25分
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(9)--------------------------------------
●神奈川台の関門跡
ここよりやや西寄りに神奈川台の関門があった。開港後外国人が何人ばんしょそうりょう そうりょも殺傷され、イギリス総領事オールコックを始めとする各国の領事たちは幕府を激しく非難した。幕府は、 安政六年(一八五九) 横浜周辺の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化した。この時、神奈川宿の東西にも関門が作られた。そのうちの西側の関門が、神奈川台の関門である。明治四年(一八七一)に他の関門・番所とともに廃止された。
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記:73811A84A8
2023年3月7日18時25分
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案内看板
(1)
旧東海道の紹介
江戸時代、東海道は、江戸と京都を結ぶ大動脈であり、 五十三次の宿場は、多くの人々が往来しました。神奈川宿は、慶長6年(1601年)に成立し、品川・川崎に次ぐ3番目の宿場でした。ここ台町からは本牧や房総を眺望することができ、東海道有数の景勝地として賑わっていました。
神奈川駅の旧跡--旧東海道 神奈川宿
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記:73811A84A8
2023年3月7日18時14分
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(4)--------------------------------------
当時の神奈川宿の様子を今に伝える。眺めも良さそう。
神奈川駅の旧跡--旧東海道 神奈川宿
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2023年3月7日18時19分
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●神奈川の台と茶屋
ここ台町あたりは、かつて神奈川の台と呼ばれ、神奈川湊を見おろす景勝の地であった。
弥次さん、喜多さんが活躍する『東海道中膝栗毛』では、「愛は片側に茶店軒をならべ、いづれも座敷二階造、欄干つきの廊下桟などわたして、浪うちぎはの景色いたってよし」とある。「おやすみなさいやァせ」茶屋女の声に引かれ、 二人はぶらりと立ち寄り、鯵をさかなに一杯ひっかけている。
上図の「櫻屋」が現在の料亭田中屋のあたりだといわれている。
神奈川駅の旧跡--旧東海道 神奈川宿
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記:73811A84A8
2023年3月7日18時23分
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田中家
(5)
坂本龍馬の妻「おりょう」も働いていた田中家。
神奈川駅の旧跡--旧東海道 神奈川宿
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記:73811A84A8
2023年3月7日18時21分
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歴史の街 「神奈川宿」
●神奈川宿
神奈川宿は日本橋を出て三番目の宿場町です。 現在の台町あたりは、かつて神奈川湊を見おろす景勝の地でした。この神奈川が一躍有名になったのは、安政元年(1854年)の神奈川条約締結の舞台となってからです。その四年後に結ばれた日米通商条約では神奈川が開港場と決められていましたが、後に横浜に変更されました。
●田中家
神奈川宿がにぎわった当時から続く唯一の料亭が、文久三年 (1863年)創業の田中家です。
田中家の前身の旅籠「さくらや」は安藤広重の「東海道五十三次」 にも描かれた由緒正しき店名です。高杉晋作やハリスなども訪れました。
●坂本龍馬の妻「おりょう」
「おりょう」が田中家で働き始めたのは明治7年。勝海舟の紹介で働いていたと伝えられています。英語が話せ、月琴も弾くことができた「おりょう」は、外国人の接待に重宝されていました。
神奈川駅の旧跡--旧東海道 神奈川宿
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記:73811A84A8
2023年3月7日18時22分
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大綱金刀比羅神社
(2)
神奈川宿にあった神社。
神奈川駅の旧跡--旧東海道 神奈川宿
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記:73811A84A8
2023年3月7日18時16分
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案内看板
●大網金刀比羅神社と一里塚
この神社は、社伝によると平安末期の創立で、もと飯綱社といわれ、今の境内後方の山上にあった。 その後、現在の地へ移り、さらに琴平社を合祀して、大綱金刀比羅神社となった。かつて眼下に広がっていた神奈川湊に出入する船乗り達から深く崇められ、大天狗の伝説でも知られている。
また、江戸時代には、神社前の街道両脇に一里塚が置かれていた。 この塚は、日本橋より七つ目にあたり、土盛の上に樹が植えられた大きなものであった。
神奈川駅の旧跡--旧東海道 神奈川宿
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記:73811A84A8
2023年3月7日18時17分
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